僕の思考場

どうも〇きよっしーと申します。僕の思想を書いていきます。

エリート意識批判から本質に迫る

はじめに

仏教の空の思想やアドラー心理学の共同体意識のパクリじゃないのかと思われるかもしれませんが、特定の考えを支持するのではなくあくまで自分なりに考えた内容をお話ししようと思います。

 

一般的なエリート意識の批判

自分が他人より能力があるというエリート意識は、以下のように心理面から批判されるのが一般的かと思います。

 

すごい人と比べて容姿や能力が劣っていて、「自分には価値があるのだろうか」と不安になる。そんな劣等感が大きくなったとき、特別意識を持つことで劣っている自分を覆い隠そうとする。自分が優れているのでも他人が劣っているのでもなく、自分の無価値さと向き合うことに恐れているだけだ。

 

または、特定のものさしで自分や他人を測っているといった批判も素晴らしいと思います。

ですが、僕は別の視点から批判します。

 

集団の不可分性

仮に集団の中で仕事のできる人が2割いたとします。

その2割の人達だけで仕事をすれば、当然その中でも仕事ができる人とできない人に分かれます。

集団が変わればできる人ができない人になることはありますし、また逆もあります。

 

当たり前ですが、能力の優劣は集団の中で相対的に位置づけられるものです。

特定の人物だけを取り上げて考えること自体がナンセンスであり、できる人もできない人も含めた1つの集団が分割できない最小単位だと考える方が自然ではないかということです。

それが理解できた時、すべての劣等感は消え去ります

なぜなら、他人と比較して自分が優れているか劣っているか気にする必要がないということが分かるからです。

 

〇〇大学に受かったのは何のおかげ?

××先生のおかげとか両親のサポートのおかげとかそれっぽいことはすぐに思いつきます。

でも、もっと厳密にすべての要因を考えてみます。

 

授業中の雰囲気も重要ですからクラスのみんなのおかげでもあります。

文房具やノートなどを買うことができたおかげとも言えます。

受験会場まで車やバスで向かったと思いますが、それまでの道路のおかげとも言えます。

道路があるのは整備している国のおかげであり、土の中にいる小さな虫たちおかげとも言えます。

 

ある結果には無数の原因があり、その原因を成り立たせているのもまた無数の原因なわけです。

そうやって考えていくと、その時に至るまでの宇宙全てのおかげと言うことが出来ます。

だからなんなんだとか無茶苦茶だという反応が返って来そうですが、ここから重要な視点を得ることができます。

 

それは

「過去から未来の宇宙全てが関わって一つの流れ(または運動)が出来ていて、分割できない最小単位である」

という視点です。

 

考えることの限界

考えるには考える対象が必要ですが、その対象を選ぶということは先ほど話した流れから1つを取り出すということです。

流れは分割できないのですから、いくら考えても遠ざかってしまいます。

そうやって考えることの限界に気づくと人生観が変わります。

 

意識の変化

考える以外の方法ということで、とりあえず感じるものを意識すると決めます。

怒りに身を任せたり苦しみから目を背けたりせず、自分の感情としっかり向き合って生きていく。

考えるという行為も辛い状況からの逃避という側面があるため、そういう目的で考えるのも流れと向き合って生きていくことの妨げになります。

 

おわりに

どの場面でもこの流れを意識して生きていこうというのが僕の思想です。

例えば、他人と自分を区別して自分だけが得をしようとする生き方は、分割できないものを分割しようとしているので不自然だと考えます。