僕の思考場

どうも〇きよっしーと申します。僕の思想を書いていきます。

自由とはなにか

はじめに

僕は工学部出身なので哲学は詳しくないですし、無宗教なので仏教も詳しくありません。

ですが、某宗教団体の信者たちがやっていることは間違っていると思いながら宗教的行為をさせられる中で、自由とはなにか考えながら生きてきました。

 

 

大学時代の友人との会話

僕には大学時代最も親しくしていた友人がいます。

その友人とは人生についていろんな話をしました。

ある日、僕は友人にこう投げかけました。

 

例えばAKBのファンがライブに行くことは、自分のやりたいことができるから自由であるとする。

でもそれは過去に見たメディアの情報によって条件づけられたもので、自分が選んでいるとは言い切れないんじゃないか。

自分がやりたいことを選んでいるというのは、実は選ばされているだけで自由ではないんじゃないかな。

 

友人は「それはそうだけど、そこまで掘り下げたら全ての選択が当てはまるし、それは自由か不自由かの問題ではないんじゃないかな」と答えました。

 

同じように考えた哲学者カント

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カントもまた僕と同じような問題意識を持っていました。

 

こちらのサイトから引用させて頂きます。

http://blog.yuku-t.com/entry/20100713/1279029548

自己の欲求や利害に則って行動しようとすることを傾向性と呼びました。

僕が先ほど例に挙げたAKBを応援するファンも傾向性に従って行動したと言えます。

 

カントの考え方の問題点

"動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしている時、人は本当の意味では自由ではない。何故なら、それは生理的要求と欲望の奴隷として行動しているだけだからだ。”

 

”自由な行動とは自律的に行動することであり、それは自然の命令や社会的な因習ではなく、自ら課した法則に従って行動することだ。そして、この「自ら課した法則」を生み出すのが理性である。”

 

ふむふむ、カントは理性によって不自由さを克服しようとしたわけですね。

ですが、理性もまた生育環境や社会的文脈に沿って条件づけられるものであり自由ではないと思います。

カントの考え方の根底には、理性>感情という構図があったのでしょう。

 

傾向性に従うことの不自由さ

賛同できない部分はあるものの、カントの言う傾向性は大きなヒントになりそうです。

やりたいことをやる人生は素晴らしいじゃないかと反論されそうなので、傾向性に従うことの問題点について考えてみましょう。

 

例えばあなたがハンバーグが一番好きな食べ物だとします。

目の前に肉じゃが・ハンバーグ・ロールキャベツがあります。

好きなものを選んで食べてくださいと言われればハンバーグを選ぶでしょう。

 

でも、このハンバーグが好きという感情は過去の経験や本人の好みによって決まるものであり、本当はもっと自分にあった食べ物があるかもしれません。

 

つまり、快適なものを選ぶという行為は現状の自分を固定化することに他なりません。

ああなりたいな、こうなりたいなと思いながら、人は変化を嫌い現状維持を選ぶのです。

 

無我

傾向性に従うのは不自由で、理性でも克服できない。

ならば僕たちは常に不自由なんでしょうか。

いいえ、違います。

そもそも根本的に考え直さなければならないことがあります。

 

それは自分の感情や行為はコントロールできるという錯覚です。

 

人を好きになることは選べませんし、何かを選択することは周りの環境に依存します。

だから、自分でコントロールしているものなど何ひとつないということです。

 

自分がコントロール出来ないのであれば、そもそも不自由なんてものはないんです。

 

 

嫌々宗教的行為をさせられていたときも

 

仕事でやりたくないことをしているときも

 

悲しみで立ち上がれないときも

 

 

常に僕らは自由です。

 

 

ただそれを忘れてしまっているだけです。

私という意識がそれを邪魔しているんです。

 

現代の危険な思想

今の日本にはかけがえのない私という意識が蔓延しています。

人権を大切にしすぎた弊害とも言えます。

個人を大切にしすぎて、集団の中の私ということを忘れさせられています。

 

SNSで承認欲求を得ようと私に意識を向ければ向けるほど不自由になります。

個から全体へシフトしていかなければ日本は駄目になっていくでしょう。

 

おわりに

傾向性は克服出来ます。

必ずしも自分がやりたいことではなくても、周りの人のために行動する。

そうすると現状の自分から変わっていきます。

私から脱却した無我の立場に立つことです。

 

結局これは僕の思想である

過去から未来の宇宙全てが関わって一つの流れ(または運動)が出来ていて、分割できない最小単位である

というのと同じことです。

 

そして自由を追い求めるのではなく、すでに自由なんだということに気付いてください。