僕の思考場

どうも〇きよっしーと申します。僕の思想を書いていきます。

幸せになるために生きているの?

はじめに

書店に並ぶ自己啓発書を読んでも、生きる意味は幸福になるためにあると書いてあるのをよく見かけます。

その考え方について批判したいと思います。

 

幸福感を得られるボタン

ボタンを押している間幸福感を得られるボタンがあると仮定します。

もし幸福になるために生きているのであれば、ボタンを押したまま一生を終えるでしょう。

実際、幸福になるために生きていると主張する人にボタンを押すだけの人生を歩みたいのかと尋ねれば違うと答えるでしょう。

幸福を追求するというのは正しいですが、幸福になるために生きているのではありません。

 

生きる意味がなぜ必要なのか

そもそもなぜ生きる意味なんて考えてしまうのでしょうか。

それは、訳もわからず生まれてきた自分の存在が不安定だからです。

なぜ生まれてきたのか分からず、自分が存在していることが不安なんです。

だから生きる意味を求めたり、神という存在を作り出したりしてしまうのです。

要するに、安心させるための道具なわけです。

 

生きる意味を求めない

自分の感情としっかり向き合って生きていく上で、生きる意味を考えることは妨げになります。

生きる意味なんかにすがらずに生きていきましょう。

 

窮屈な生き方

生きる目的があるということは、行為によって存在価値を見出しているからに他なりません。

また、能力の優劣により存在価値を決定するので他者との比較をしてしまいます。

自分は価値がある存在だと思うために他人より多く努力をして多くの成果を出そうとします。

その反面、努力をしていない自分を受け入れることができません。

勉強ができない人や仕事ができない人も認めることができません。

 

自然な生き方

そんな生き方は窮屈だと思いませんか。

大切なのは、「私が存在すること自体に価値を見出せるのか」ということです。

私の価値を規定する根拠など必要ありません。

 

あなたが失敗ばかりしていても、苦しい過去を抱えていたとしても、ショックで立ち直れなくても

あなたは生きているだけで価値があります。

 

ですから、他人のことも根拠なしに存在の価値を認めましょう。

絶対に条件を付けてはいけません。

条件を付ければ付ける程、自分自身が息苦しくなってしまいます。